臨床薬理研究振興財団30年のあゆみ
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J APAN RESEARCH FOUNDATION■■■日本臨床薬理学会の設立と発展■■■山村 1969年に臨床薬理研究会ができて、この研究会が1980年に臨床薬理学会に移行したわけです。この時は会員数が688名ということで、会員が3倍ぐらいに増えていますが、まだ大したことはなかった。この学会を設立したのと同時に、この年から日本学術会議主催の臨床薬理シンポジウムをやっています。1985年に体制委員会ができて、臨床薬理とは何かということの定義を「ヒトを対象としたpharmacokinetics、pharmacodynamicsを研究し、合理的薬物治療を確立するための科学である」ということを決めました。それから歴史的に申しますと、1989年に日本で初めてGCP(旧)ができ、それから1991年には ICH(international conference of harmonization)が開かれています。その頃(1991年)に日本臨床薬理学会では認定医制度というものが作られました。1992年には第5回世界臨床薬理学会議(world congress of clinical pharmacology)が横浜で行われています。■■■第5回世界臨床薬理学会議■■■山村 この時は私も募金委員などになってお金を集めたりしました。この時には、参加国が59カ国、参加者が外国人が887名、日本人が 1,455名というようなことで、非常に大きな学会になりました。清水直容先生が会長、海老原昭夫先生が副会長、事務局長は佐久間昭先生、それから 会計担当が柳田知司先生ということでした。私も募金委員をしていたんですが、柳田先生は、各委員に集める額まで割り当てて、お前、これだけ集めろというので、いやでもそれだけ集めなきゃならないので非常に苦労しましたけれども、相当額が集まりました。これについては、皆さんもいろいろ関係しているから、いろいろな思い出があると思いますが。私は、「鎮痛の研究におけるPKならびにPDの適用」というシンポジウムがありまして、私とニューヨーク・メディカルセンターのSunshine、その2人が座長役でこのシンポジウムをやってくれといわれて大変困りました。困りましたというのは、なにしろパネリストがSunshineと、FDAのHarterという人、オークランドのHolford、サンフランシスコのSheiner、それから、がんセンターの麻酔科でモルヒネについて研究をしている平賀先生、その5人がシンポジストなんです。外人ばかりですから、連絡のしようがないんですね。Sunshineというのは、私は知らなかったんですけれども、相当大物らしいんですね。彼から日本に来たら打合せするから、どこか日本の料亭で夕飯を食べながらやりたいからアレンジしてくれといわれて、それで会長の清水先生に、そういう費用はありますかと聞いたら、そんな費用はない、料亭なんかでやったら大変だといわれ、お金の出しようがないものですから、私、ちょうどある企業関連の病院の院長をしていましたのでその企業にたのみまして、中華街で打ち合わせをやりました。そうしたら、えらく喜こばれましてね。翌日シンポジウムがあったのですが、population pharmacokineticsなどというのは私はよく知らなかったんですが、彼がほとんど助けてくれまして、お蔭で助かりました。海老原 世界臨床薬理学会議、日本は第5回だったですね。非常に大きなイベントでしたが、たくさんの人が集まり、演題も豊富で、世界中から大きな評価を頂きまして、その後の日本の臨床薬理学発展に大きなバネになったと思います。第1回の会長はロンドンのDollery先生、第2回はア38 30年のあゆみ ー 30周年記念 座談会 薬物治療の進歩と臨床薬理学 ー FOR CLINICAL PHARMACOLOGY

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