臨床薬理研究振興財団30年のあゆみ
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個別化と薬の標準化■■■臨床薬理研究振興財団ー 30周年記念 座談会 薬物治療の進歩と臨床薬理学 ー 30年のあゆみ 41ており、臨床試験のシステムというか、そういう日本における制度の開発に先生は非常に貢献なさいました。二重盲検試験というのは有名な言葉で、盛んに使われたんですが、中国では双盲法というんだそうです。日本における臨床試験のあり方も非常に様変わりして、メーカー主導型でやってきたんですけれども、最近は医師主導型の臨床試験が始まったりして、いろいろご苦労があるんだろうと思います。年代順にいいますと、1994年にCROの協会ができましたし、また、1998年という年は、日本の臨床薬理にとっては画期的な年で、CRC(clinical research coordinator)の制度ができて、中野先生の会長の時のワークショップで取り上げたりしました。それから1997年には新しいGCPができました。薬というのは人間共通の財産であり、いいものは日本でもどんどん取り入れなきゃならないということですが、またそれを取り入れるに当たってはいろいろ問題があるわけです。先ほど山村先生がおっしゃったように民族差ということもあるわけですが、しかし、外国で使われている良い薬が、日本で使われるようになるには現状では、かなりの時間がかかりますので、審査期間をもっと短くして、速やかに使えるようにすべきだといわれています。これにはいろいろと問題がありますが、そのへんについて、中野先生にお話しいただければと思います。■■■薬物治療における中野 そうですね。その前に、臨床薬理学の役割のようなことを、先ほど、岡先生がいわれましたが、私共は患者さんの治療に薬を使うわけですが、薬を標準化するプロセスが臨床試験です。その有効性と安全性を評価するというプロセスです。標準化された薬を、個別化して個々の患者さんに使います。そこのところを、岡先生は先ほど話されました。私たちは、個別化をすごく重視して昔からindividualiza-tionという言葉を使っていましたが、別な表現ではpersonalization、最近ではtailor-made medicineという言葉が広く使われております。個別化のプロセスを非常に重視してきましたが、標準化のプロセスはあまり意識してこなかったように思います。治験を含む臨床試験は薬に関する標準化のプロセスだと思います。昔を振り返ってみると、私は1970年頃、薬学部に籍を置かせてもらいましたが、その頃、古くからある医薬品はしっかりした臨床試験をしてないのが結構ありまして、「薬の再評価」の必要性が叫ばれるようになった時代でした。それで、再評価の臨床試験に臨床と薬学を勉強しているから協力して欲しいという要望があって、当時はコントローラーという役割があって、いろいろな領域のコントローラーを務めながら、実際の臨床評価のお手伝いをしてきました。特に1977年頃、私が2年間の米国留学を終えて帰った頃には、二重盲検比較試験が当たり前になってきました。さらに大きく変わったのが1990年以降です。1990年代にソリブジンの薬害事件が、あれは93年でしたか?岡 93年ですね。中野 93年に、ソリブジンという皮膚科で使用する帯状疱疹の薬が、発売されて1カ月のうちに十数名死亡するということがあって、前代未聞の大事件に発展しました。実は治験の段階でも死亡例が出ていたのですが、その取り扱いが、後から考えると不適切だったということがわかって、日本の治験の行い方には問題があり、直さないといけないというので、当時の厚生省に医薬品安全性確保対策検討会ができました。94年から2年間、毎月1回開催されました。私も委員と財団法人

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