臨床薬理研究振興財団40年のあゆみ
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Japan Research Foundation for Clinical Pharmacology(中島光好先生は、平成27年12月11日に逝去されました。本寄稿は平成27年8月にご執筆頂いたものです。)国立大学法人 浜松医科大学 名誉教授公益財団法人 臨床薬理研究振興財団 顧問中島 光好1340周年に寄せて 本財団設立翌年の1976年に、第1回目の海外留学補助金の受賞者に選ばれました。これが私と財団とのつながりの始まりです。 1975年、新設の浜松医科大学薬理学教授に就任して1年後、仕事もまだ緒についてない時期であり、留学する時間はないので海外臨床薬理施設の視察をさせていただきました。準備に多くの時間をかけ、すべてアメリカ、ヨーロッパの教授などの紹介を介して訪問予定をとりました。42日間に約12ヶ所余りの世界で有名な臨床薬理学施設や教室を訪れ、教授、助教授に会うことが出来ました。この経験が私を育て臨床薬理に対する知識と見識を深め、その後研究に大きく影響したことは間違いありません。財団には深く感謝しています。 1991年に認可された財団法人横山臨床薬理研究助成基金の設立には、本財団から数多くの助言をいただきました。名古屋の高等学校時代に担任であった日本史の横山藤逸先生が私財を投じて作られたものです。校長先生を最後に退職され、余生を人類共通の願いである「生命の尊厳」と「人類福祉の進歩向上」に役立ちたいと財団設立を決意され、教え子の一人である私に「お前の考える財団にせよ」と押しつけられた結果です。資金も思いのほか多く1年で認可されました。日頃質素で倹約家でしたので莫大な資産を医学の進歩の為に投じられた心意気と度量の大きさにはびっくりすると共に感服しました。真の教育者のあるべき姿をみた感じがします。1994年に私の都合でバトンは名古屋大学の齋藤英彦先生にタッチして退きました。 2年後の1996年、本財団の役員に招かれました。以後退くまで選考委員として参加する機会を多く与えられました。その仕事を通じて感じたことは非常にユニークな財団でありながらその特色が出せないで多くの財団に埋もれているということです。 私共の教室では日本臨床薬理学会に数多くの発表を行い、可成りの評価を受けているという自負がありましたが本財団の評価は低かったようで、残念ながら奨励金は一度も受けていません。選考委員の先生方がimpact factor の高いものにひっぱられていた感じがします。折角この財団が臨床薬理の発展を期待して作られたのに新しい研究者を育てる役割を十分果してこなかった気がします。最近は創薬が重視され、厚労省、文科省が臨床薬理的研究基盤の育成に多額の費用を投じ始めたこともあり、先生方の臨床薬理への関心、認識も改善されてきています。 今後、他に類をみない財団の特色を発揮した活躍を期待しています。私を育ててくれた臨床薬理研究振興財団40年のあゆみ

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